このブログは、いろんな記事を雑多に書きすぎて、まとまりがなくなりつつあります。そこで当面<まとめ記事>的な内容を書くことで、ブログ内のコンテンツを整理していきたいと思います。セブ島のモール・レストラン・ホテルなどの情報もいずれは整理する予定です。
今日は、このブログ開設のきっかけとなった<MBA留学>関係のまとめ記事です。2010年から英語の学習を開始して2011年に合格し、震災のため1年留学を延期後2012年より開始し、2013年にまたまた仕事の関係で延期し、2015年にようやく卒業したシカゴ大学MBA(EMBA)のまとめ記事です。
かなりの長文にはなりますが、MBA留学のプロセス、難易度、経験など含め総まとめ記事となっていますので、ぜひ一通り目を通してください。※これまで公開してこなかった秘密の情報もありますので、ぜひ読破してください。
Contents
約8年もの前に、一念復帰して英語の学習を開始します。最初はフルタイムMBAのプログラムの参加を念頭に、主にイギリスのMBAに1年くらい留学するつもりで英語の学習を開始しました。そのため、IELTSの学習をいきなり開始したかたちになります。
SI-UKという、渋谷にあるイギリス留学専門の英語学校及びエージェントに、2か月ほどお世話になりました。最初の2週間くらいは、英語が久しぶりだったので、ライティングの宿題がなかなか書けずに苦労しました。それでもすぐに6.5は取れました(1回目6.0で2回目で6.5)。そこからなかなか7が取れずに苦労しましたが、海外留学経験が大昔のニュージーランド3か月だけだったので、そもそも無理があったかもしれません。
シカゴ大学受験時のIELTS提出スコアは、6.5でした(恥)。本当に7がなかなか取れませんでしたし、このころの僕の英語は、本当に今と比べるとかなり低かったです。EMBAプログラムの場合は、英語力よりも経験のほうが重視されている印象があります。僕の場合は起業してそれなりの実績を上げていましたので、MBAの日本人受験者の中では珍しかったので、面接は一発で合格しました。
実際に受けた人から聞くと、すぐに合格通知が来ないことが多いようですが、僕の場合は面接後1週間もせずに合格通知が来ました。そういう意味では、学校側からすると来てほしい人材だったかもしれません。英語はかなり壊滅的な状況でしたが。
一方で、2011年は受験直前に起こった震災の影響で、事業の売上が4-5月かなり不安定になってしまいました。そのこともあり、1年開始を延期しました。実際には仕事がばたばたしていたので、準備はほとんど出来ませんでした。あえて経験としてよかったのは、マニラのAIMというビジネススクールのプログラムに2週間参加したことくらいです。
正直舐めていました。自分の能力を過信するというのはこういうことを言うのだと思います。Pre-MBAでは、僕が得意な数学や会計関係のことをやるのですが、この時点で教授やクラスメイトが何言ってるのかほとんどわかりませんでした。今なら余裕だと思いますが、当時は本当に英語力が低かったです。僕は小さいころからそろばんを習っていて、大会にも出てたくらい計算が早いです。そうした計算能力ですら、英語でやるとスピードがかなり落ちます。
Pre-MBAですらこんな状況でしたから、最初の授業のMicroeconomicsとLeadershipの授業は、それこそ座って授業を聞いていることすら大変でした。眠いという状況ではなく、発言をしないといけない雰囲気や、何を言っているかさっぱりわからないプレッシャーですね。MBA留学をした日本人はすべて同じような経験をしているはずです。このころはリスニングもまだまだでしたが、日本人にとって肝心かなめのリーディングでさえ、MBA留学レベルではなかったと記憶しています。ケースとかの読み方もなっていなかったです。僕はこの最初の授業で結構メンタルをやられました。口の周りの吹き出物が悪化し、1週間で3-5キロくらいやせたと思います。シカゴ大学のExecutive向けのEMBAプログラムはフルタイムより数倍は大変です。授業は1か月に1週間くらいのペースしかありませんが、そのたびに3キロはやせました。
シカゴ大学のEMBAプログラムでは、アメリカ、ロンドン、シンガポール(当時、今は香港)の3キャンパスのクラスメイトが集まるインターナショナルセッションというのがあって、そのグループワークは、初めてのグループワークかつ、本当に周りが何言ってるのかわからず苦痛でした。しかも授業の準備の仕方とかまるでわかっていなかったので、グループメイトには本当に申し訳なかったと思っています。
キックオフウィークが終わり、まだ3週間という状況でシンガポールキャンパスでのWeek1が開始となります。シンガポールのアジアキャンパスでのグループワークをSkypeでやり、その時も周りが何言ってんのかわからずにあたふたした記憶があります。ネットでのクイズ(小テスト)も10問中6問くらいしか正解できず、一体これからどうなってしまうのだろう、というときでした。
僕が世間知らずな向こう見ずな起業家タイプでなかったら、逃げ出していたであろう、いや逃げ出すべきだったMBAのシンガポールキャンパスでの最初の授業です。この時点で授業の理解度、予習の進捗度は30%にも満たなかったと思います。膨大な量のケースと宿題量に、何をどうしていいのかわからないまま、時間ばかりが過ぎていった時期です。
もうブログを更新する気力もなくなり、当時のブログは後でまとめた記事にしました。改めて読み返してみても、この頃、授業で教授の説明はほぼ理解が出来ていなかったようです。準備の仕方も問題がありましたし、そもそも大学の講義を英語で受けること自体がほぼ初めてでしたので。英語がダメなのにキャッチアップが難しいEMBAのプログラムに参加したことも大きな要因です。
とにかく英語がダメだったのと、Microeconomics(ミクロ経済学)がとにかく難しすぎて全く理解できなかったので、試験勉強はかなり真面目にやりました。いやー本当に仕事そっちのけで勉強していたので、仕事のパフォーマンスはかなり影響出ましたね。人生で一番勉強しました。やらないと落第するという危機感が一番あった時期です。
最初のWeek1は主にCompetitive ManagmentとStatisticsだったと思います。両方とも授業中はまだまだ教授の行っていることが半分、クラスメイトはほぼわからずという状況でしたね。特にCompetitive Managementのほうがグループプレゼンというものがあって、完全に玉砕しました。僕のつたない英語でグループに迷惑をかけてしまった(と僕は思った)ことで、部屋に戻ってからガチで涙が止まりませんでした。理由はあんなに練習したのにうまく話せなかったことです。
今思えばろくに英語が話せない日本人が原稿なんか作って、読もうなんで不可能ですね。グループの打ち合わせでそういう流れになってしまって、内容も完璧に理解できずに本番に向けて頑張ったのですが、ダメでした。一生懸命やってダメだったとしても、自分がふがいないと思うと涙は止まらないのです。多分あんな思いはこれからも一生ないと思います。仕事で英語話すとか、あれに比べれば余裕ですね。とにかくアプローチ方法もダメでしたね。会社で英語でプレゼンをする機会も今はそれなりにありますが、緊張しなくなりました。堂々とはっきり話せばいいんだと思えるようになったのは、この経験があるかもしれません。
涙した経験が生きたのか、この頃から自分が何をやればいいのかわかってきた気がします。英語力はまだまだだったので、まずクラスメイトに貢献するとしたら事前準備と宿題をしっかりやることだろうと、ようやくわかりました。特に最初のグループワーク(宿題)は、グループメイトが全く準備が出来ていないことが多かったので、ほぼ一人で完璧にやるようになったのはこの頃からです。あとケーススタディーの読むスピードや、読み方もなんとなくわかってきた時期でした。とにかく時間をかけて、グループの宿題を事前にやるようにしたのがこの頃でした。
Operation Managementの最初の宿題で、オペレーションの工程を書くような宿題があったように記憶しています。僕はそれをほぼほぼ完ぺきに仕上げていました。そうすることで、グループの僕を見る目が変わり、発言も聞いてくれるようになりました。事前準備もかなりやっていましたので、ケースの内容理解もかなり出来ていました。あと僕はそもそもビジネス経験がかなりあったので、実務能力は実はかなり高いということも気づきました。なかなか表現が難しいのですが、ケースを読んだ後、今後はこうなるとか、こうすべきだという経営判断のセンスが、他のクラスメイトより経験値が高いせいか、合理的で説得力のある回答をすることができることに気づきました。
英語はまだまだだったので、なかなか発言はできませんでしたが、自分がダメなのは英語なんだなと改めて気づいた瞬間だったかもしれません。
この頃もグループワークでは貢献できていたものの、授業中にはほとんど発言できずに苦しんでいた時期です。手を挙げても当てられずとか、ああここでこれを話したいなと思っても勇気がなかったり、実はこれ話そうかなと思ったら、あとでまるで的を外していたことに気づいたりで、なかなか勇気がなかった時期です。このクオーターの2週間の授業ですが、授業準備はかなりして終えたのですが、もう1年の延期を決めてから突然試験だけシンガポールで受けることになりました。全く試験勉強をせずに両方Bでしたので、授業準備がいかに大切かわかると思います。試験勉強をしっかりやればB+からA-くらいは取れたのではないでしょうか。授業の準備方法については、かなりわかりつつあった時期でした。
セブ島の某英語学校だけが原因だけではありませんが、2013年から2014年まで1年間MBA留学を延期(中止)したのは、結果的に非常によい判断でした。昨年もサウスウェスタン大学の医学部の進学を最初の1週目で完全にWithdrawするという決断をしましたが、僕はそうした判断能力もあるほうだと思っています。そもそもそこまで放っておくの問題ではあるのですが、最後の最後の決断をするタイミングは悪くないです。だから17年も会社経営をやっているとも言えます。
この頃思っていたのは、MBA留学と比較をすると、仕事で英語を使うなんて大したことがないなあということです。某英語学校の立て直しに成功したのも、MBAで学んだことが生きたというより、MBAでのつらい経験が生きたといえます。フィリピン(セブ島)でフィリピン人に囲まれながら仕事をやっていましたので、英語も落ちはしませんでした。英語もなんだかんだ1年で結構使えるようになっていたようにも思います。
1年間仕事に専念できたのと、おかげさまで某英語学校の業績が回復したので、かなりいいメンタルな状況で、新しいクラスメイトとのMBA授業の再開を迎えました。1年間ともに過ごしたメンバーはほとんどおらず、僕のことを知っているメンバーがいずに、なかなかどう過ごしていいかわからない週でした。英語環境ではどんどん新しい友人ができるほど社交的でない僕は、非常に寂しい思いをしました。少し1年延期したことを後悔したのもこの週でした。
1年目の最後のテストを全く準備することなく受けたことで、成績が悪化してしまったこともあり、成績を上げるモチベーションが完全に下がりました。当時平均3.45近くあったGPAが、そこから一気に3.2まで下がりました。テスト勉強せずにBだったという記憶から、準備をしておけば試験に落ちることはないとわかったので、ここら辺から試験の直前の勉強をあまりしなくなったのも大きな要因です。どちらかというと、授業準備に多くの時間を割きました。あと、1年目はほとんど仕事を放置して参加していましたが、再開後は結構真剣に仕事をしていました。そこもパフォーマンスが落ちた原因だったと思われます。
1年間延期をしたタイミングでたまたまカリキュラムの改変があり、かなり無理のあるスケジュールで授業を受けないと1年で卒業できないになりました。
7月18日 東京-大阪(新幹線品川-大阪)
※実は今日本・・・汗
7月21日 大阪(関空)-台湾-シンガポール
7月22日 シンガポール-イスタンブール
7月26日 イスタンブール-ロンドン
ロンドン授業(1週間)
8月2日 ロンドン-シカゴ(3週間連続授業)
シカゴ授業(2週間)
8月17-18日 シカゴ-東京
普通Executive MBAの授業は、1か月に1週間で一気に学ぶ超高速で行われます。シカゴ大学の場合は、フルタイムMBAと学位が同じため宿題や学ぶ量、試験で要求されるスコアが全く同じになります。成績が落ちたという話をしましたが、このスケジュールもかなり影響したと思われます。こうした強硬スケジュールを強いられたため、宿題の提出期限を忘れたり、いろいろやらかしました。結果的にはフォローしてなんとかなったのでよかったのですが。
シカゴ大学の最も大きな山場と言われる、シカゴでの2週間の選択授業はかなりきつかったです。こちらは卒業生も受けれますので、将来ぜひとも参加したいと思っています。この後実はシンガポールでの最後の授業が一番きつかったです。人生で一番肉体的にしんどい思いを40代になってからすぐとは想像にもしていませんでした。まあ自業自得ですが。。。
シカゴでのインターナショナルセッション後、2015年1月まで授業がなかったこともあり、仕事も含めいろいろ取り組みできました。このころ長女が高校から海外留学を希望していることもあり、2014年12月からイギリスに行くことになります。結果合格できたかたいものの、イギリスからシンガポールに戻り、そのままMBAの授業を受けることになり、本当に大変でした。そう、
時差です。
人間いろいろ肉体的にしんどい経験をすることもあると思いますが、睡眠不足がどれほど大変か嫌というほど味わいました。ましてやMBAの授業が朝9-5時まで行われ、夕方6時~深夜まで毎晩グループワークで、それでも睡眠不足になるMBAウィークです。僕がこの1週間で寝れたのはわずか8時間です。(2日間は全く寝れず、3日間で8時間ほど寝れた程度です)
5日間8時間の睡眠
時差で完全に体内時計がくるってしまったので、グループワーク終了後全く寝れないことが数日続きました。授業中に意識を失うことも何度もあり、それはもう肉体的に限界でした。土曜日の授業が終了後オフィスに戻り、長女が待つ中本当の意味での爆睡をしたのですが、その時間13時間です。長女はなんてMBAは大変なんだろうと思ったようです。
1年延期したのとカリキュラム変更で、強硬スケジュールをしたのにも関わらず、1科目を一つ下のクラスメイトと香港で授業を受けることになりました。2015年3月にクラスメイトが卒業を祝う中、僕は2015年5,6月の授業を残していたわけです。今思うとこのことが僕にとって多くの新しい出会いになったと思います。僕はAXP-13というバッチで入学して1年後AXP-14に合流、そしてAXP-15の時に卒業をしました。実はそれぞれに特徴のあるクラスメイトがおり、それぞれいまだに交流しています。
先日セブに遊びに来たロシア人はAXP-13だし、マニラの超優秀友人(会計士国家試験9位合格)はAXP-14、そして何を隠そう100億の男はAXP-15です。しかもここで紹介した友人は皆日本人ではありません。100億の男は既に何人か英語学校に中国人を送ってくれていますし、仕事上でも付き合いがある状況です。そう考えるとMBA留学はビジネスマンにとっては非常によい友人をつくる場であり、ネットワーキングの場なのです。
僕自身は、すべての単位が出そろった2015年8月28日に正式に卒業しました。卒業式には参加しませんでしたが、最後の香港での授業でAXP-15のメンバーの前でお祝いをしてもらいました。全く予想していませんでしたが、何か一人だけお祝いしてもらい、特別扱いを受けた気分にもなれました。途中で単位を取得した卒業生には毎回このような場を提供してくれているようです。僕は通常写真掲載はしていないのですが、今回はその時の写真を掲載したいと思います。(満面の笑みですね・・・汗)
MBA留学について是非論があることは承知しています。起業にはMBAは必要がない、日本人にはMBAは必要がないとはよく聞く言葉です。改めて卒業してMBAホルダーとなった立場から言わせていただくと、チャンスがあるならMBA留学はすべきだと思います。実際にはMBA留学で学んだ知識は、そこまで実践の場で生きることはありません。今思うと、厳しい環境や、つらい思い、優秀なクラスメイトから学ぶことのほうが多かったです。優秀なクラスメイトほど、足しげく教授のもとに通い努力をしているのです。これから海外留学(高校、大学、大学院)する人に参考になればと今回まとめ記事として書かせて頂きました。長文失礼しました。
応援よろしくお願いします。